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2024/04/19 04:35 |
白骨の章
友人の友人が亡くなってふと思い出した、一文。

よくわからんのでネットで検索。
浄土真宗の方ならお葬式等で耳にされた方も多いかと。
それは、白骨の章
こんなタイトルが付いてるとは知らんかった。

んで、内容
 夫れ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
 されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
 されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、即ち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
     あなかしこ あなかしこ。(蓮如上人)

このなかで、「朝には~から甲斐あるべからず」のくだりがドーンと来る。

わかりにくいと思うのでワタクシなりの訳(余計わからんかもしれん)
ひてい、二日のことしか考えん人をみたら、儚いもんはワシらが生まれてから死ぬる間のことで、そりゃぁ幻みとぅなもんよのぅ。
ほいじゃけぇ1万年も生きとる人は聞いたことがなかろぅが、人はすぐ死ぬんよ、誰か100年生きとるかいね?
ワシが先じゃ、アンタが先じゃ言うて今日かもしれん、明日かもしれん言うて人より後じゃろうが先じゃろうが死ぬ人は、えっとおるんよ。
朝にゃ元気じゃったんが、夕方には骨になるもんなんよ。
ひどいことがおきたら、目閉じて、息せんようになって、顔色が悪ぅなって、ぶさいくなって、親やら連れやら来て泣いてもどうにもならんのんよ。
放っておかれんけぇ、火葬したら骨しか残らんのんよ、哀れ言うのもアホなんよ。
死ぬ言うことは若いとか年寄りとか関係ないんよ、じゃけぇその日暮らしじゃのぅて、これからを考えんさい、じゃけぇ阿弥陀仏言うて唱えんさい。
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2010/07/29 16:27 | Comments(0) | TrackBack() | 戯言

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